理念の生まれたストーリー(プロフィール)

なぜ、思うような人生が手に入らないのか?
を知りたい
生きている意味・目的を知りたい
成功しても幸せが続かない
このまま人生を終わりたくない
あなたをサポートしています

加藤健二郎(ニックネーム:かとけん)

成功者は、みな努力してきたが、
努力した人が、みな成功するとは限らない
そして、
『報われない努力はない』提唱者。
ライフコーチ/
タマラアクティベーター

あなたが人生の目的を
見つけ、
やるべき
貢献のテーマに
進むこと
常に課題を乗り越え、
強くしなやかに生き抜ける人
になるための
アドバイスをしています。

真の豊かさと幸せが手に
入れるよう

全身全霊でサポート
しています。

あなたは、ご自分の人生について、
こんな疑問を抱いたことは
ありませんか?

・なんで、こんな苦労しないと
 いけないのかな?
・努力しても全然報われる割合が
 薄いし、やってられないわ
・なぜ、この世に生まれてきた
 のかな?
・何をしていけば、幸せになれる
 のかな?
・どうせ死ぬなら、がんばっても、
 がんばらなくても同じなんちゃうの?
・運命ってあるのかな?
・なぜ、この親の元に生まれたのかな?

ありますよね?

誰もが考えたことが。
答えは見つかりましたか?
見つかりませんでしたか?
途中で止めていませんか?

私は、クライアントさんが
人生の目的を知り、
ご自身がやるべき貢献のテーマを
見つけるお手伝いをしています。

その貢献のテーマに進まれた方が、
短期間に真の豊かさと成幸を手に入れる
姿を見られることに生き甲斐を
感じています。平成時代スタートの頃から
令和になって、次第に幸せのモデルは
多種多様になり、
個人の価値観が尊重されるように
なってきて、
生きやすくなった一方で、

その多種多様が故に
自分軸が定まらず、膨大な情報の中に
自分らしさが見つからず、
(というか、そもそも自分らしさとは
存在しないという話もありますが、
ややこしくなるので、ここでは割愛します)

何となく生きている人や
自分らしさを見つけようと
日々モンモンと
考えている人が増えている
ようにも感じます。

あなたは、どうですか??

なに、言ってんのん? このおっちゃん??
お金があれば、ほとんど何でも
手に入るやん。
そしたら、幸せになれるやん。

だから、毎日毎日お金の事考えて、
稼ぐことと増やすこと、
ほんで、そのお金をどう使うか?
何に使うか?を考えてるんやん。

みんな、そーちゃうん??

って思いましたか?
もしあなたが、そうだとしか
考えられないとしたら、
ここで、このページを閉じて
ください。

あなたにとって、このページを
読んでも時間の無駄です。

そうではないとしたら、もう少し
お付き合いください。

私は、昭和世代なので、
世の中で幸せモデルなるものが幼少期
にはありました。
成長とともにバブル時代を
高校生~大学生で過ごし、4年生で
バブル崩壊。

就職氷河期1年生となりました。

そんなタイミングなのに、社会人1年生で
趣味のトライアスロンで世界選手権に
選抜され、ハワイに行くため有休申請を
すると、半ばクビ同然に退職に
追い込まれました。

そうまでして、出場して
完走したハワイアイアンマン。
ゴールの達成感と充実感、限界のさらに
先にある限界を超え、命を削ってまで
走り抜いた感覚は、
今まで味わったことのない最幸の最高の
喜びでした。

「生きてきて良かった!!
がんばってきたことが報われた!!」

と同時に退職したことが
心の片隅にありました。

ゴール後、シャワーを浴び、一休みしてから
深夜0時のタイムリミットまで、
次々とゴールしてくる
選手や応援の人達と共に声を枯らした
思い出があります。

でもでも、ゴールの翌日。
満月が明るく照らす海面を一緒に
ゴールテープを切ってくれた彼女と
レースでの出来事を話している途中から、
胸にバスケットボール大の穴が
空いてくる感覚が襲ってきました。
(彼女のせいではないですョ)

これから、何をしよう・・・
ゴールの瞬間、倒れ込んで死んでも
良い、そう考え、臨んだ大会。

レース中、あまりの脚の激痛に
気が狂いそうになりながら、
急坂を全速力で下り、心臓が破裂しそうに
痛く、息苦しかったレース。
そして至福のゴール。

なのに、なぜだろう??
ぽっかりと空いた穴は、日本に戻ってからも
埋まりませんでした。


がしかし、
トライアスロンを止めてしまったら、
自分はダメになる、という心の声が
聞こえた気がしました。

とにかく、続けよう。
続けていれば、チャンスが
来る気がする。

そうして、トライアスロンを
生きている証の
ように思い、アルバイトをしながら
取り組みました。

26歳の時、一点の悔いもないくらい
生活全部をトレーニングと栄養・休養の
バランスを取ることで追い込み、
自分史上最高の体を手に入れました。

そのノウハウは後に、
メーカーで働く時の武器となり、
ライフコーチをしている今も
大変役立っています。

50歳を過ぎ、ライフコーチ活動を
始めることになる原点は、
14歳に遡りますが、思えば
このハワイでの
ゴール後に空いた胸の穴の感覚が、

スタートだったように思われます。

でも、この時に明確にライフコーチだ、
と決めれたわけではなく、
紆余曲折を経たからこそ辿り着いた、
ライフコーチであり、
タマラアクティベーター
なのです。

 

ちなみに14歳の原点とは、中3で
受験生になり、進路を考えることに
なったことが発端です。

それによって、
そもそも人生で何をしたいのか?
俺たちはなぜ生まれてきたんや?

生命誕生の理由ってあるんか?
そりゃ、宇宙ができたからちゃう?

宇宙誕生とは?ビッグバンやろ?
みたいな話をしていて、
この友達とは、そんな哲学的な会話を
よくしていました。
ですので、私のライフコーチとしての
原点は、
この頃に遡ることが
できるのです。

紆余曲折といえば、
フルタイムの営業職(38歳)の中、
さらに距離で
過酷な
ULTRAMANトライアスロンレース
(3日間でハワイ島1周)にも2回
(25歳と38歳で、後の方がタイムは
3時間短縮)出場、ニコニコ完走
させてもらって。                          

IRONMANとULTRAMANの
ニッチスポーツのダブル完走歴を
正式に持っている

日本人の2人目になったり。

私をULTRAMANに導いてくれた人が、
ご紹介くださった方々のおかげで

ホテルマンに正社員として
働くことができ、

約3年のブランク後、ようやく
社会人復帰できました。

これが山の始まり。

それから1年半、生きている証で
あったトライアスロンを

横に置いて(両立したかったので、
とても挫折感味わいましたが)、

必死に、時には3日間くらい寝ずに
働いて仕事を覚えました。

社会人として最低限の教養やマナー、
言葉遣いなどを
使いこなせるように
なるまで。
そして、同級生たちが到達している
仕事の実力に並ぶまで。

ホテルという環境は、
その点で学べる環境でした。
ぽっかりと空いた胸の穴に少し膜が
貼られていき、社員として働ける喜び
や安心感を味わいつつ、

どんどん仕事が
楽しくなっていきました。


半年くらい掛かりましたが、
誰にも教わらなくても
仕事ができる
ようになって、がんばりが評価され
花形の営業に抜擢されてから、
苦労が(人生の谷の)始まりました。

この職場では、人間関係の複雑さや
表・裏面、恋愛関係も折り重なって、
実はグチャグチャだったのが、
評価されたことで、分かってきました。

同性愛者に告白され、
しかも彼は仕事ができる人で、
よく教わってきていたので、
関係が複雑になってしまったり、

別の先輩に妬まれて脅されたり、
派閥争いに巻き込まれたり。

不倫関係にある人達のアリバイ工作に
利用されたり。
立場が下で、役職がないと、
意見が通らなかったり。


社会人なら、誰でも経験するような
事ですが、免疫のなかった私には、
トライアスロンでのやり方が
全く通用しない
世界を経験しました。

営業赴任当時、前任者たちが
全員辞めてしまって、
たった一人で
営業を任されることになりました。

未経験の私では全く通用せず、
辞めていかれた方々の

引継ぎもZEROでしたので、
クレーム対応に追われながら、

半年で5000社に飛び込み訪問
しましたが、
30社しか名刺をもらえず
12社しか契約をもらえませんでした。

毎日のように数字報告をすると
「お前にしたのは失敗だった。
ほんまアカンなぁ」

と言われ、自信喪失していきました。


支配人が上司でしたが、営業の約束を
何度も
齟齬にされて、
契約を逃した苦い経験が
思い出されます。

彼は殆ど毎日、遅刻して11時頃に
出勤してきますが、
ほぼほぼ酒臭かったことも
思い出します。

そんな彼に「営業にして失敗だった」
と言われている自分が情けなく、

支配人(上司)に腹立つのに
何も言えないのが
悔しかったです。

ストレスと数字のプレッシャーと
達成できない恐怖に負け、

大切な場面で声が出なくなりました。

病院に行っても原因不明。

ストレスが原因というのも職場で
噂が広まるのが恐くて言えない。

 

微熱が続くようになり、心療内科を
受診しました。

ストレス性のものだと言われましたが、
会社には適当にウソをついて
辞めさせられないように
がんばりました。

これは続かないのは、
本人が一番カラダで知っています。


ここが、当時の器の私にとっての
谷底だったように思います(笑)

仕事しながら転職活動をして、
半年後、
無事抜け出すことができました。

この半年間のことは、
とても鮮明に思い出せます。

とにかく、出社することすら苦痛で、
その支配人の顔を見るだけでも
嫌で嫌でたまりませんでした。

できるだけ顔を合わさないで済む
ようにしていました。

最終的には、その支配人を前にすると
喉がカラカラになって、
声が出にくくなるだけでなく、
発熱してくるのも自覚できていました。

精神安定剤や睡眠薬を1か月分で
大量に処方されたいましたが、
それを部屋の端に置いて、

毎日「絶対、飲まずに乗り越えるぞ!
このストレスの原因は、
あの人にあるのだから、
飲むと負けや。
あの人にだけは負けたくない!!」と
言い聞かせていました。

20代の私の必死の抵抗でした。

振り返ると、会社を辞めて無収入に
なることへの恐れから来ていた症状
なのであり、
的確なアドバイスと
解決法を提示できるのですが、

当時の私には、
全く歯が立たない相手でした。

初めての就職先は、
アイアンマンの為に辞めて、
次の行き先も決まってなかった
ことで金銭的にも世間の眼からも

苦労しましたから、

今回はキチンと次を決めて、しかも
ランクアップする先を決めて
辞めようと決意していました。

時々、毎日があまりにも過酷で
しんどくて気力、体力の限界まで
働いて
クタクタで帰宅して
おりましたので、


まず辞めてから探そうか?とも
考えたりもしたのですが、

それは自分に負ける気がしていて、
次を決めてから!!
と強く決めていました。

(今にして思うと、教訓が隠れています。
そうです、自分の内側の声に従い、
本気で強く決心したことは、
何にも勝る力を与え、継続的行動力を生みます。
では、どうすれば内側の声が聞こえ、
強く決心できるか?の再現性ある
ノウハウがあります)

毎日の支配人からの嫌がらせに
屈するのは、
自分にも負けることなので、

全て目標達成して、やり残すことは
ゼロにして辞めました。

完璧にこなしました。

これが自信となりました。


だから、次の会社に行ってからと
いうもの爆発的に仕事に
取り組むことができました。

営業マンとして活動後、1年で
代理店営業責任者。商品企画も兼任。


その後半年で、
近畿初代エリアリーダー兼
代理店営業責任者兼講師会事務局。


この頃、開発したサプリメントが
ヒット商品となり会社一丸となって

売り込む商品に成長。

諸々あって、1年後講師に専任。
社内外の講師を務め、新人研修は
延べ2,000人超。

営業、接客を通じて出会った方々の
数15万人(2024年4月時点では
35万人)

35歳でビジネスマンとしての夢を
全て達成後、

残りの人生をどうやって生きて
いこうか?と悩むことに
なりましたが、
40歳くらいまでは、
多少の迷いや悩みを持つ
ことがあっても、

概ね充実して忙しく前進している
実感のある日々を過ごすことが
できました。

大きな山場ですね。

40歳で営業統括責任者を経験し、
部下276人を持ち新人事制度立案
メンバーにも参画しますが、

統括責任者として、
過度のプレッシャーと
役割、組織間の縦横斜めの板挟みに
よって
適応障害を発症し、
自殺願望を持つまでになりました。


立場や待遇とは裏腹に
精神的な谷っ底、ドン底を
経験しました。


この頃になって、やっと分かった
のですが私はHSPであり、エンパス
だったのです。

主に不平・不満を述べる部下の思いに
共感を超え、同調していまい、
ネガティブなエネルギーに自分も
飲まれてしまうのです。

体調不良や元気が出ない、
けど無理をしてやる気を出す、
ということを繰り返しました。

やがて、自分から失敗する
ようにしたり、
仕事を消極的に行ったり、

体調不良を原因に休みがち
になります。
現実にも谷が始まっていきます。

 

当然、降格していき、
お客様相談室長兼講師会事務局長。
広報部と兼任。営業本部兼
ランニングクリニックコーチ
兼講師。。。


聞こえは良いような仕事ですが、
徐々に本流から外れ、専門的知識が
あるだけで会社的には重要な役割では
なくなっていきました。


職場にいるだけで苦痛でしたが、
割り切るように意識していました。

ずっと、ずっと、そう30歳の頃に一度
考えたものの見送っていた「独立」
という文字が頭に浮かび、

さらには、
仲の良かったメンバーが独立していく
姿を見ていて、自分も?と
検討し出しました。

世の中はネットが発展し、
SNSで情報発信することで、
成功している人が増えていました。

自分もDRMを学び、
マインドセットや精神的な学び、
真我開発合宿に参加したり、

お金についてのリテラシーを
磨いたり、

コンテンツ作成のノウハウ、
講師として、どこに行っても通用する
スキルアップに自己投資を
していきました。


これらは、貢献のミッションの
動機からではなく、不安や恐れの
回避からの行動であったと
自己分析できています。

ですから、あまり身についてなく、
満足できるレベルに
到達していないのです。

しかし、それも計らいのひとつ
であり、
自己投資のつもりが事故投資に
なっている人へのコーチングに
役立っています。当時、Facebookを毎日やっていた
のですが、

25年ぶりに高校時代の友人から
「かとけん やんなぁ」と一言
突然友達申請が来て、
やり取りが始まりました。

その友人は、恵比寿に住んでいました
が、東京出張時に会ったのです。

まだ幼稚園児の男の子を連れて、
恵比寿ガーデンプレイスで
ランチをしました。

その時に話した内容は
今でもよく覚えていますし、

お互いの25年間を早送りで
話し合いました。

とてもとっても楽しく有意義な
時間でした。

そして、彼の奥さんの大病からの
復活劇を聴いた時に、
とある人物たちの話を聞きました。


その後、その方々を
紹介してくれたのです。


まずは、1か月半くらいして、
お一人様と上野駅前の喫茶店で
お会いできました。


それがタマラさんとの出会いであり、
不思議と思える体験でした。

私には、幼いころから頻繁に見る夢が
あったのですが、
3タイプありました。

いずれも最後は死んでいきます。

そのうちの一つは死んだ後も、
その部屋の上に浮かんでいて
眼下に大切な人たちが自分の抜け殻の
カラダに対して話しています。

毎回、同じ展開と最後になる夢も
あれば、連続ドラマのように
続きが展開されていく夢も
ありました。

全部、鮮明に覚えているし、
挙句には夢を見ながら、
また、この夢かと自覚している自分も
います。
 
かと思えば、
夢を見ながら現実としか思えない
ようなリアルさなのです。

タマラについて話してくれる
目の前の方は、全て分かっている
ように感じる人でした。

初対面なのに、昔からというか
ずっとずっと、
はるか昔から知っているような感覚。

そして、私が感じていた3タイプの
夢の謎を解いてくれる
のではないか?と思ったのです。

質問してみました。
3タイプの夢の内容を話して、
この夢の意味すること、
意図するものがあるなら、
それは何か?

全てに即答され、しかもその答えが
ス――――と入ってきます。

「そうそう、そうでした。
思い出させてくれて、
ありがとうございます」
という感覚なのです。

全部に完璧に合点がいきました。
たちまち、私はタマラさんを
信用してしまいました。

それから、
色んなお話をしていただき、
素直に聞き入りました。


人生で展開されるプラスの出来事、
マイナスに見える出来事の捉え方や
人生的意味・価値のお話。
プラスマイナスのエネルギーの働きと
物質化、3次元について。

プラス思考がもたらす
エネルギーの影響。

マイナス思考がもたらす
エネルギーの影響。

地球や宇宙レベルでの現象や
空間にある様々なエネルギーが
お互いに影響し合っている
仕組みについて、などなど。
教えてもらいました。

そして、タマラとは陰陽で言う
ところの、陽のそのものの素であり
タマラを取り込める体質になれば、
やる気やポジティブな思考を
自分がすれば、
そこにどんどんプラスのエネルギーを
生産して直感も冴えてくるし、
感覚が磨かれていきます。


決断や判断、自分の取るべき
行動の正解が
分かりやすくなります。

エンジンにターボを付ける
ようなものです。

負のもの、マイナスなエネルギー
には反応しないし、使えません。

行動する活力も増大してくれるし、
活動、活躍できるようになっていく
可能性が広がること、
なども聞きました。

はじめは、名前などなかったらしい
のですが、呼びようがなく
不便だったとのこと。
後に、
浮かんできた名前がタマラだった
のです。

さらにその時、私の人生を変える、
というか
今までの人生の点と点が線で繋がる
「あること」が起こり、本当の自信と
自己愛を持てるように
変わっていきました。

人生とは、ひょんな事で激変する
ことがある。

たった一つの出会い、出会った
ばかりの人からの影響で、
大きく動き出すことがある。


これは、
ハリウッド映画の中ではなく、
実際に起きた奇跡的な経験でした。
 
でも、それからずっと、
当時の私からすると
奇跡としか言えないような出来事が
日常茶飯事になりました。

今では、偶然の一致と世間で
言われている
ことは、心身のバランスをきちんと
調えている状態にしていれば、
普通に起こることだと思っています。

タマラさんとの出会いは、
45歳でした。

その後、自分本来の生き方に
修正して進んでいき、
ヘッドハンティングで48歳の転職。

新天地のはずが、
洗脳→奴隷のように働くことになり、
半年で退職。

その後、様々なブラック企業で
職を転々とし、心身共に
どろどろのボロボロのギトギト
油汚れの最高の雑巾になっていく(笑)

とどめの一撃でコロナ禍。
会社から一方的減給により
生活費が足りず、

娘の大学進学の為に置いていた貯金が
半減しました。

51歳、行き着いたタクシーの仕事。
大阪の有名大手会社入社2年で
トップになり、年収3倍に。

紆余曲折、成功と挫折だらけの
我が人生の意味・目的を
知りたくなり、

それまでも学んでいたのですが、
とことん深く、理解し人様に
説明できるまでになろう。


ライフコーチとして学び、
元々、人生には青写真があり、
ひとりひとりの目的と貢献のテーマ
(ミッション)があることを
知りました。

それだけでなく、
それをコーチングできるように講師
としての学びを得ました。

そして、からくりを体系的に
掴みました。
ゲシュタルト構築ができました。

 

そして、
運転手(タクシードライバー)
→運転者(ご縁のあった
人の運を転じる者)
への道を進むこと
を決意し、情報発信を始めました。

今までの人生を振り返り、
自分の役目として
腑に落ちたことがあります。


その一つは、ご縁のあった方の
人生の目的を見つける
お手伝いをすること。

そして、やるべき貢献のテーマに
進むアドバイスをすること。

眠っている能力があるなら、
それに気づいていただき
本来の能力を発揮し、全力が出せる
ようにするノウハウを
お渡しすること。

強くしなやかに生き抜く過程で、
成幸を手に入れていただく

サポートを全身全霊で尽くす事、
です。


方法として、

・運を転じる者「運転者」
=ライフコーチとして、

12ステップライフコーチセッション
で人生の目的と
貢献のミッション
発見のサポートをし、


・「ULTRAMANケンジロウ」
=タマラアクティベーター
として、
純粋な陽のタマラを使える体質
になり、その方が魂レベルの目的と
ミッションを
達成できるようになる
武器をお渡し
(タマラアクティベーション)
すること。


これらを使命としています。

「ひとりひとりが魂レベルで成長する
テーマを見つけ、
やるべき貢献の
ミッションをやり遂げること」


これが本当に拡がり、世界レベルで
実現されていけば、
世の中が明るく
元気になり、真の調和が訪れると
思っています。

更に、
・なりたい自分になり、目標達成
していく上で
 必要な
スキルノウハウの
「心技体作りの講座」


・マインドセットとノウハウの
 「目標達成講座」 

それらの「個別コンサル」
をしています。

私があなたにご提供できるサービスを
整理しますと、

・12ステップライフコーチング

・その体験セッション


・タマラアクティベーション


・心技体作り講座


・目標達成講座(単発タイプと
継続タイプあり)


・各講座の個別コンサルティング

となります。

各サービスのお問い合わせは こちら 
となります。

最後になりましたが、
ここまでお読みいただき、
本当にありがとうございます。

私にとって、
理想は世の中のすべての人が、
ですが、

先ずは出会った方、この拙い文章を

最後まで読んでいただいた方が、
最幸の人生を手に入れていただく
ことが最大の望みです。

お問い合わせをいただかなくても、
私のセッションなどを受けなくても、

とにかく生まれてきた意味や目的を
知って、

ご自分の道を見つけて、
魂レベルで幸せな
日々を送って
いけますように、お祈り申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

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